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2009年04月20日

1607年歴史が動いた

1607年歴史が動いた

平成19年12月にNHKで放送された
「その時歴史が動いた」の録画を
貸してくれる人がいて、昨日はそれを
見ました。

豊臣秀吉の文禄・慶長の役で中断
してしまった朝鮮通信使が復活できた
のはなぜかが分かりました。

1607年というのは江戸時代に入って
朝鮮通信使が復活し、2代将軍秀忠に
謁見した年。5月6日だそうです。

朝鮮通信使復活を考えたのは徳川将軍でも
朝鮮王朝でもなく、対馬の島主・宋義智
(そう・よしとも)でした。

釜山から50kmほどしか離れていない
対馬にとって日朝貿易というのは大切な
収入源。 島民を守るために義智は、
和平工作を企てました。

まず徳川家康が秀吉のことを謝る国書を
偽造し、朝鮮王朝に届けます。
(なんと大胆な!)

朝鮮王朝はそれに返事をよこしますが、
そのまま家康に届けると国書偽造が
バレてしまう。

そこでまた偽造した朝鮮王朝の返事を
本物とすり替えます。

結果、まーるく納まって朝鮮通信使が
復活することになるのですが、それにしても
国書を偽造したり、すり替えたりと
スパイさながらのテクニックはすごいです(爆)

っていうか、江戸城のセキュリティは
大丈夫だったの~?

SECOMしてますか? byミスター長島(爆)

とにかく、江戸時代になって朝鮮通信使は
対馬の宋義智のおかげで、12回日本を訪問する
ことになり、それは日本の文化に影響を
与えることになるのです。

めでたし、めでたし。

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Posted by まるこ♪ at 07:06│Comments(0)通信使
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