2009年07月28日
日本と朝鮮半島2000年(4)見たどー!

[大化の改新:蘇我入鹿が暗殺される]
久しぶりに「見たどー!」と
叫んでみました。
この番組、とても興味深いんですが、
たんたんとした口調なので、いつも後半は
居眠りしてしまいます(爆)
日曜日の晩はシリーズ4回目。ようやく
学校で習ったことのある部分に入って
きました。
まず大化の改新。
「むしころし」だったか「むしころせ」
だったか、645年と語呂合わせで覚え
ましたね。蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に
暗殺されます。
「いるか」なんて変てこな名前だなーと
子供心に思ったものです。
これは単なるクーデター、今風に言えば
「政権交代」と思いきや、裏に朝鮮半島との
外交も関係していました。
蘇我入鹿は百済派、そして中大兄皇子らの
裏にいる軽皇子は新羅派。
大化の改新で蘇我入鹿が敗れ、倭国には
百済の皇子が人質になり、新羅との外交が
盛んになりました。
黒幕だった軽皇子は、孝徳天皇として
即位します。新羅の王様「善徳女王」の
名前に似てませんか~

当時の天皇の名をどうやって決めたか
知らないけれど、新羅と「仲良し♪」って
ことで似せているのかしら?(爆)
朝鮮半島では、新羅は唐と組んで
百済と高句麗を滅ぼしていきますが、
孝徳天皇の王宮もそれまでの百済スタイル
ではなく、中国(唐)スタイルになっています。
遣隋使と遣唐使を覚えていますか?
大陸の文化や仏教を学ぶために留学僧
たちが隋や唐に行ったのだけど、
遣隋使は百済経由、遣唐使は新羅経由で
中国まで渡っていたそうです。
今みたいに人や情報が簡単に行き来でき
ない時代、倭国は朝鮮半島の情勢を
見守りながら新羅についたり、百済に
ついたりしていました。
白村江の戦いでは、百済軍の応援をしま
した。けれども集団の戦法を持ち合わせて
いなかった倭の軍は大敗。

朝鮮半島、大陸の力を目の当たりにした
倭国は、国を治める方法を中国に習い、
制度を整えて「日本」を作っていくことに
なります。
ちょうどこの頃に書かれた『播磨国風土記』の
「揖保郡」の話には新羅の皇子をモデルにした
悪役が登場しています。
その頃の日本は新羅を脅威に思っていたことが
よく分かります。
Posted by まるこ♪ at 15:09│Comments(0)
│古代日本