2009年06月30日
朝鮮通信使と室津
今朝、歴史の師匠から電話があり、
『BanCul』を見るように言われました。
私がちょっと急いでたので、理由も
確認しなかったのですが、最新号の
特集は「播磨のみなと」だった。
今日は、朝鮮通信使がらみの
電話だったんで、港は通信使の
寄港地だからかな~と思って、
ぺらぺらページをめくると、
「朝鮮通信使と室津」という
記事がありました。
朝鮮通信使をもてなしたのは
姫路藩だった。
『BanCul』の記事には、1655年の
通信使来航の記録を、姫路藩主の
榊原忠次が室津の賀茂神社に奉納した
とあります。
1655年の通信使は、江戸時代の
6回目の通信使で、その頃の龍野藩主は
まだ脇坂ではなく京極高和でした。
脇坂が龍野に来てから、通信使は6回
(最後は対馬のみ)日本に来ていますが、
通信使と脇坂家の接触があったのかどうか、
因縁の再会があったのかどうか、いろいろと
想像が膨らみます。
Posted by まるこ♪ at 15:52│Comments(0)
│通信使