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2010年03月30日

大仏開眼



「だいぶつかいげん」

大仏は、奈良の大仏さん。

「開眼(かいげん)」とは、仏教の言葉で、
仏像や仏画に魂を招き入れることを言います。


4月3日と10日、NHK総合で奈良の大仏建立の
ドラマが前後篇にわけて放送されます。


昨年秋の百済ツアーで東大寺に行き、渡来人の
血をひく僧、行基(ぎょうぎ)の功績を学び、
また百済王の子孫がたくさんの「金」を寄付
したことを知りました。

そんな背景を知った上で、ドラマを見たら
また深い理解ができると思います。

ドラマのHPはこちら
http://www.nhk.or.jp/osaka/daibutsukaigen/index.html

また、そこで紹介された見どころをコピー
しておきます。

8世紀、大仏建立を巨大エポックとするこの時代、
大陸に派遣された遣唐使が伝えた思想と価値観は
天平文化として華麗に花開き、「日本」という国家の
かたちが出来上がりつつありました。

しかしその裏では天皇を支える貴族間の政争、
また税と飢餓に苦しむ民の姿がありました。

混沌としたエネルギーに溢れたこの時代に、
人々はどのような国を作り、また何のために
巨大な盧舎那仏を作ろうとしていたのでしょうか。


ドラマでは唐から帰国して理想の国づくりに向かって思い、
悩み、そして突き進んだ天才・吉備真備、大仏建立を命じた
父・聖武帝の背中を見つめ続けてきた阿倍内親王(後の孝謙天皇)、
そして二人の最大のライバルとして権勢を競い合った藤原仲麻呂の
三人を軸にすえ、そこに生きた人々が繰り広げた愛と憎しみ、
野望と挫折の人間模様をダイナミックに描き、日本人とは何かを
問いかけます。
  


Posted by まるこ♪ at 09:17Comments(0)古代日本

2010年03月26日

善徳女王 ~慶州の旅~



韓国観光公社のHPでは今「善徳女王の痕跡を
訪ねて」ということで、慶州を紹介しています。

http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TE/TE_JA_7_5.jsp?gotoPage=1&cid=984795


韓国で暮らし始めて最初の夏休み。

韓国人の友人から、いつまでも誰かを頼っていては
韓国語が上達しない。一人旅をしたら度胸がつく。
そう言われて行ったのが慶州でした。

ようやく片言の韓国語を話し始めた頃です。

とにかく慶州まで一人で行ったのですが、
韓国がいくら安全とは言え、女性の一人旅は
不安だったので(言葉よりも護身が不安でした)
同じ旅館に泊まっていた男子学生をつかまえ、
韓国語の交渉は私がするからと、一緒に観光
してもらいました。

たいして話もできなかったくせによく言った
ものです(爆)

友人が言ったように、その旅をしてから、
韓国語を話すことが怖くなくなりましたが、
慶州のことは、あまりの緊張であまり覚えて
いません(爆)

写真の真ん中にある筒のようなものは
「瞻星台(チョmソンデ)」といって、星の観測を
するものです。東洋で最も古い天文台と
言われています。

私ももちろん見ましたが、これは善徳女王が
作らせたものということは知りませんでした。

星を観測して、農業に役立てたり、占いをしたり
したそうです。


また慶州といえば「仏国寺(プルクkサ)」も必ず
寄らないといけない場所ですが、善徳女王が建てた
「芬皇寺(ブンファンサ)」というのもあるそうです。



「芬皇」は「花のような皇帝」という意味。

善徳女王や徳の高い僧などが出入りしていたお寺だ
そうです。 ドラマにも出ていますか?


百済と日本との関係は古いですが、新羅とも
もちろん深~い関係があります。

特に播磨は百済よりも新羅ですね。

姫路の「白國神社」の「しらくに」はズバリ
「しらぎ」のことですし、『播磨国風土記』にも
飾磨の話に「新良訓」とありこれも新羅のことを
示しています。

それに「揖保(いひほ)」という地名の由来にも、
新羅の王子が登場しますし・・・

善徳女王が面白いと感じるも、皆さんのDNAが
反応しているのかもしれませんよ(爆)  


Posted by まるこ♪ at 10:08Comments(0)新羅

2010年03月21日

朝鮮通信使と唐人人形



昨日は朝鮮通信使の勉強会で鞆の浦に
行って来ました。

鞆の浦は、今、龍野と同じように古い家屋に
おひなさまを展示しているのですが、
通信使の泊まった対潮楼では「唐人人形
(とうじんにんぎょう)」を展示していました。


[昨日の対潮楼からの景色・曇っています]

「唐人」というのは、「南蛮人」が
ヨーロッパ人をさすのと同じように
「アジア人」のことを言い、鎖国中、唯一
国内を往来した外国人の朝鮮通信使も
「唐人」だったわけです。

大名行列のように、何百という人が行列で
歩いて行くのですが、珍しい衣裳や
音楽が日本の人々の目をひいたことでしょう。



そして日本各地に、それを真似た踊りや
人形ができたということです。  


Posted by まるこ♪ at 08:17Comments(2)通信使

2010年03月05日

砲火の中へ





クォン・サンウやBIGBANGのT.O.Pが
出演する映画「砲火の中へ」

日本で公開されるかよく分かりませんが、
見る前に予習しておきましょう。

韓国の題名は「포화 속으로」
(ポファ ソグロ)

日本語は、そのまんま訳されています。

1950年6月25日に起きた朝鮮戦争の
中での話です。

1945年8月15日、第二次世界大戦が終わり、
朝鮮半島は日本の支配から解放されました。

その後、半島北部にソ連が進駐し、
南部にはアメリカ軍が駐留することになり、
同時に朝鮮半島の主権をめぐる民族間の
対立に進み、南北に分断されてしまいます。

今から60年前の1950年6月25日、北朝鮮が
38度軍事境界線を超えたことから戦争が勃発し、
北朝鮮・ソ連・中国vs韓国・欧米諸国の
国際連合軍の戦いが始まりました。

これによって、北と南に離れ離れに
なってしまった「離散家族」ができました。

一方、第二次世界大戦の敗戦国、日本は
アメリカ軍の武器の修理、弾薬の製造など
工業生産がのび、戦後の復興につながって
いきます。「朝鮮特需」ってやつですね。

日本が占領して苦しめた半島の人々が
さらに苦しんでいたとき、日本は
それを踏み台にして成長しました。

どうかそれを覚えていてほしいと
思います。


そして1953年7月27日、板門店で休戦協定が
結ばれ、現在に至るというわけです。

映画は、朝鮮戦争中にあった学徒兵と
北朝鮮軍との戦いを描いています。  


Posted by まるこ♪ at 23:01Comments(0)現代の韓国

2010年03月01日

三・一節



今日は3月1日。

この前お正月だったのにもう3月で
嫌になってしまいます。

年度がひと月早い韓国では今日から
新年度が始まりますが、初日の今日は
いきなり祝日です。

三・一節(サミルジョル)

日本の支配下にあった1919年の3月
1日に、仁寺洞の近くにある
タプコル公園で、独立宣言書が読み上げられ
運動が始まりました。

去年、一緒にソウルに行った皆さんは
宣言文やレリーフを見ましたね。



吾らはここに、我が朝鮮が独立国であり
朝鮮人が自由民である事を宣言する。


  


Posted by まるこ♪ at 07:21Comments(0)現代の韓国