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2009年08月31日

脇坂安治はこんな人



1592年閑山島海戦で李舜臣と
戦った脇坂安治はこんな人でした。

ただし韓国人がイメージしている
安治ですけど(爆)

先日、KNTVで放映中の「不滅の
李舜臣」というドラマをチラ見した
ときに、豊臣秀吉と千利休と
2人の武将が茶室(たぶん)で
話をしていたのですが、そこに
脇坂安治がいたので、思わず、
写真を撮ってしまいました。

どうやらこれから朝鮮出兵する
ようです。



「不滅の李舜臣」については
こちらをどうぞ。
http://www.kntv.co.jp/prog/detail/?p=7935  


Posted by まるこ♪ at 20:45Comments(0)李舜臣

2009年08月28日

チャン・ヒビン



皆さん、見てますか? 
チャン・ヒビン。

昼間、サンテレビで放映している
ので、時々、面白いという評判を
耳にします。

これは朝鮮時代の話なので、私は
まだまだ見ていませんが(いつ、
古代から抜け出せることやら…)
とりあえずお勉強しておきましょう。

韓国では「チャン・ヒビン」は悪女の
代表みたいに言われていて、私も
名前はよく知っています。

調べてみると朝鮮三大悪女の一人だ
そうです。

漢字では「張禧嬪」と書きますけど、
ヒビン(禧嬪)っていうのは位のことで
名前ではないんですね~

側室のトップってことらしいです。

そのチャン・ヒビンは、朝鮮19代の
王様、斎宋の側室ですけど、斎宋は
「朱蒙」に出てきた金蛙王じゃない
ですか~(爆)


(「朱蒙」での写真です)

「チャン・ヒビン」には朱蒙(ソン
イルグッ氏)も出演してて、時代が
混乱しますね。

斎宋の時代は1674年から1720年。
日本では江戸中期ごろでしょうか?

チャン・ヒビンは、1688年に王子を
生み、1701年にその生涯を閉じます。
王子を生んだことで出世するわけ
ですが、テレビで見る限りいつも
怖い顔をしてますね~(爆)

ドラマをちゃんと見ていないので
その時代をどう描いているかよく
分からないですが、結局、王后と
側室チャン・ヒビンの後ろには
政治の派閥対立があるようです。

王后側を後ろ盾する西人派とそれと
対立する南人派。自民と民主みたい
なものです。

チャン・ヒビンは悪女としての
性質をもともと持っていたかも
しれませんが、結局、南人派に
操られていたということになる
でしょうか。

今風に言ったら「●●チルドレン」かな(爆)  


Posted by まるこ♪ at 07:41Comments(2)張禧嬪

2009年08月24日

金大中元大統領 国葬



昨日、金大中元大統領の国葬が
行われました。

あの車の多いソウルの道路を閉鎖し、
棺を乗せた車がゆっくりと市内を
走っていきました。

韓国の国民にとって偉大な政治家だった
ことを改めて感じました。  


Posted by まるこ♪ at 07:44Comments(0)現代の韓国

2009年08月22日

金大中さん、安らかに



作った話よりもまさに劇的な
人生を送った金大中さんが
お亡くなりになりました。

みなさんは、金大中さんに
どんな印象をお持ちですか?

私はちょうど金大中政権のときに
韓国にいたので、金大中大統領に
よって韓国社会が変わっていく
様子を目の当たりにしました。

それまで劇場で見られなかった
日本映画が劇場で公開された
のも彼の時代です。

最初に公開されたのは、高倉健
主演の「鉄道員」そして
北野武の「Hanabi」でした。

韓国字幕のついたスクリーンを
見ながら新しい時代の到来を
感じました。

それから北朝鮮訪問。



これもびっくりしました。

当時20代だった韓国人の友人が、
金正日の肉声をテレビで聞いて
「金正日も人間だったんだ」と言って
いたことを今でもよく覚えています。

それまでの韓国では北朝鮮情報が
少なく、特に金正日については
よく知られていなかったのでしょう。

訪朝を評価され韓国発のノーベル平和
賞も受賞されました。


金大中さんは、日本では最も有名で
好感の持たれていた政治家では
ないでしょうか。

私の子供のときに、金大中氏拉致事件
があって、子供でしたから事件の
真相は分からなかったけど、日本中が
金大中氏の応援をしていたように
感じていました。



軍事政権によって何度も命を狙われ、
韓国を追放され(アメリカに亡命させられ)
てもなお、韓国の民主化のために
政治をしてきた人物です。

まさに歴史ドラマの主役です。

今回ソウルで教保文庫に行きましたが、
実は入口に世界のノーベル賞受賞者の
肖像画が飾ってあり、そこに金大中さん
のもあります。

先日もそのお顔を見てきたばかりで、
その後間もなくの訃報が残念でなりません。

ご冥福をお祈りします。

合掌  


Posted by まるこ♪ at 08:55Comments(0)現代の韓国

2009年08月21日

日本と朝鮮半島2000年(5)予習

韓龍ツアーから戻りました!

旅の疲れものんびり取る間もなく、
来週と9月のアタマにある高齢者
教室の準備、その他もろもろの
雑用に追われ、歴史ドラマから
ますます疎遠になっている私(涙)

こちらのブログに書くネタがなく
しばらく更新できませんでした。

しかし!

たとえドラマは見れなくても「日本と
朝鮮半島2000年」だけは外せません。
途中で居眠りしても見ます(爆)

8月の放送は、30日(日)午後10時から
衆議院選挙の日ですよ、みなさん。

今回はシリーズ5回目「日本海の道」と
いうタイトルです。

詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/lineup/index.html

長文を読むのがしんどい方に簡単に
いうと、古代の日本の外交は、朝鮮半島から
九州そして畿内のルートと考えられて
いたのが、近年の発掘調査で、北陸の豪族が
独自に朝鮮半島と関係を持っていて、独自の
ルートがあったということが分かりました。



7~10世紀、朝鮮半島には「渤海」と
いう国があり、大陸から約2500人のも
人がこうした「日本道」を渡って日本に来て、
漢詩を競ったり、高麗人参などを伝えた
そうです。

というようなことを、紹介してくれる
ようです。

7~10世紀というのは、ちょうど
「海神」の時代です。



朝鮮半島と日本を行き来する人たちと
チョンポゴは何か関係があったのでしょうか?

NHKはそこまでは教えてくれないか?(爆)  


Posted by まるこ♪ at 08:16Comments(0)おすすめ

2009年08月05日

チョソントンシンサ




「朝鮮通信使」のことです。

通信使が通った道筋を韓国語で
紹介するサイトを見つけました。

日本政府観光局のHPです。

http://www.welcometojapan.or.kr/tong/  


Posted by まるこ♪ at 22:34Comments(0)通信使

2009年08月04日

韓国の世界遺産



世界遺産委員会が開かれたそうで、
朝鮮時代の王陵40基が世界文化遺産に、
そしてホジュンの書いた韓医学の書
『東医宝鑑』が世界記録遺産に
登録されました。



朝鮮通信使とともに日本に渡って来た
ホジュンの弟子の医師たちから、ホジュンの
教えを聞くために、日本のお医者さん
たちが待っていたという話を聞いた
ことがあります。

「ホジュン」のドラマはまだ見て
いませんが、『東医宝鑑』を書く
場面はありましたか?  


Posted by まるこ♪ at 17:04Comments(0)